(奥の院にある本多平八郎忠勝のお墓)
この前高野山の奥の院に行って戦国武将のお墓を沢山見てきました。
で、何で高野山にこんな武将のお墓が沢山あるの?と疑問になったので・・・調べてみた。
高野山だけに武将のお墓があるわけではない
高野山にお墓がある武将は他のところにもお墓があったりします。
っていうか他の所がメインって感じです。
例えば高野山に本多忠勝(本多平八郎)のお墓はありますが、本多忠勝のWikiの墓所の欄には、墓所は三重県桑名市にあるとあり、高野山奥の院の表記すらありません。(2016年11月現在)
Wikipedia:本多平八郎忠勝
普通に壇家とお寺の関係からお墓が立ったっぽい
私は最初、高野山がブランディングのために有名武将のお墓を勝手に片っ端から作ったんじゃ・・?(有名人のお墓が沢山あれば泊がつくから)なんて一瞬思ったんですが、このYahoo知恵袋のベストアンサーの回答を見るに、そうではなく普通に壇家とお寺の関係から墓所つくられたようです↓
yahoo知恵袋:高野山には著名な戦国大名の墓が沢山ありますが・・・
※リンク先に出てくる「宿坊契約」とは「壇縁」=「壇家とお寺の関係を結ぶこと」みたいです。(調べたw)
つまり、知恵袋のベストアンサーを意訳すると
高野山含む寺社業界が戦国時代位に経営危機になったから諸大名にゴリゴリ営業かけて壇家制度の契約を取ってきた
って感じになると思います。
壇家契約の追い風
壇家制度についてはWikiが詳しいですが
Wikipedia:壇家制度
江戸幕府がキリスト教を禁止
↓
事実上ほぼ強制的に全国民が仏教徒に。
という流れがあります。もう少し詳しく流れを書くと
キリスト教禁止
↓
キリスト教徒ではない証明として、どこの寺の壇家なのか証明書を見せる必要がある。(寺社はこの時期、証明書(寺請証文)を身分を問わず壇家に発行)
という流れです。
な~んか、「新車を買ったら車庫証明が必要で、車庫証明発行のために警察に出向いたらそこで発行手数料を取られる」みたいな、国がまわりくどくいろんなところで集金してくる仕組みがフラッシュバックするんだよなぁ、これ。
おっとグチはさておき、またWikiにはこうも書いてあります。
事実上国民全員が仏教徒となることを義務付けるものであり、仏教を国教化するのに等しい政策であった。寺請を受けない(受けられない)とは、キリシタンのレッテルを貼られたり、無宿人として社会権利の一切を否定されることに繋がった。Wikipedia:壇家制度
もうお寺にとっては超追い風。
国民全員が見込み客状態。
この追い風の時期に高野山はうまく壇家契約をたくさん取ったんじゃないでしょうか。多分。
その後
で、時は流れ・・
これらは、寺院の安定的な経営を可能にしたが、逆に信仰・修行よりも寺門経営に勤しむようになり、僧侶の乱行や僧階を金銭で売買するということにも繋がっていった。(中略)本来の仏教の教えは形骸化して、今日に言われる葬式仏教に陥った。Wikipedia:壇家制度
業界腐敗しちゃったよ!
(高野山が腐敗したと言ってるのではない)
とはいえ、キリスト教のカトリックの俗化に反発してプロテスタントが生まれたように、仏教界にもこの後これに反発するような仏教が新興宗教として生まれた・・・んじゃないかな?知らないけど。(そうは言っても新興宗教って言葉にはヤバイイメージ多いけど)
ちなみにそのプロテスタントの生みの親、マルティン・ルター兄貴が今までのキリスト教にキレした件はこのサイトに詳しいです。(ガチギレ後、プロテスタントが誕生)
↓
マルティン・ルターの宗教改革
また、ルターはこんないい言葉を残してます。
マルチン・ルターは『忙しければ忙しいほど、多くのとき祈りに費やさなければならない』と言いました。これは「忙しい人ほど祈らなければならない」という意味です。なぜなら忙しいときはこころが滅びるから(※以下略)http://www.kobe-yamatechurch.com/message121111.html
深い。。いろいろ応用がきく考え方な気がします。
例えば・・仕事ばっかして、自分の趣味とか自分のために使う時間を持たなかったら、人生に充実感がなくなって、仕事もはかどらなくなって、こころが壊れるか、最悪自ら命を断ってしまう、とか。(コレを書いてる2016年11月のちょっと前、電通に入社した24歳入社1年目の女の子が過労死したニュースが話題になりました。)
仕事に応用するなら、
「こなす仕事量」と
「仕事をこなすスキルアップにかける時間」
のバランス感覚とか。
(時間の全てを目の前の仕事をこなすことに使ってしまい、業界の最先端を学ぶ勉強を怠ってたら・・そのうち前線で使い物にならなくなるw 的な)
マルチン・ルターの話が出てきたからふと思ったんだけど、プロテスタントの方って自分たちの事をプロテスタントって言うんですよね。
プロテスタント(protestant)の元になる言葉、プロテスト(protest)の意味って「反発する」(=反発者)って意味だと思ってて、どっちかというとカトリック側から見た呼び名なんじゃないの?って思ってたんだけど、改めてwebで単語の意味を調べてみたら
(特に、不信に対して)(…を)断言する、主張する、(…に)断言する、(…と)断言する、異議を申し立てる、抗議する
とありました。
ただ単に反発するって意味じゃなくて、不信に対して反発したって意味なんですねー。
「プロテスタント」という自称の背景には、カトリックの不信に対して「私たちはきっぱりと反発した」っていう誇りがあるのかもしれないですね。
って、奥の院の話じゃなかったっけ、これ。
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